フィルムカメラをはじめて感じた写真の面白さ

Halu Amatsuji

「このカメラ、いらないからあげるよ」

そう言ってカメラ好きの祖父が手渡してきたのは、使い古されたフィルムカメラでした。

まさか、このカメラが写真をもっと好きにさせてくれるとは思っていませんでした。

今でも写真を取り続けられているのは、このフィルムカメラと出会ったからだと思っています。

カメラをはじめてみたい!
もっと写真を、カメラを好きになりたい!
そんな想いを持っている人に伝わるようにこの記事は書いています。

写真ともう一度向き合うことができるきっかけとなってくれれば幸いです。

それでは、はじめていきます。

 

フィルムカメラとの出会い

祖父からもらったのは、Nikonのフィルムカメラでした。

重厚感のあるボディは私の心を惹きつけるのには十分でした。早速もってファインダーを覗いてみると、いつも見ている世界が少し違って見えたのです。

窓から差し込む光や、その光が反射して輝いている家具たち、雑多に置かれている雑誌や新聞たち、ファインダー越しに見えるすべてのものがまるで意志をもっているようにこちらに訴えかけてくるのです。

「ねぇ、僕たちを撮ってよ!」というように。

その勢いに負けて、シャッターを押してみると、カシャンとした音が体の中に響き渡りました。

ただ1枚撮っただけなのに、一眼レフやスマホで撮ったときには感じられない高揚感を感じたのです。

「なんだこれ楽しい! もっと撮りたい!」

心の中から写真が撮れる喜びが溢れてくることを感じました。

「デジカメと違って、楽しいだろ」

感動して固まっている私を見て、祖父は言いました。

「デジカメと違って、フィルムカメラは撮れる枚数に限りがある。デジカメは何枚でも撮れるけど、フィルムカメラはそうじゃない。だから1枚を大切に撮らなければならない。1枚1枚が真剣勝負なんだ。だから、ファインダー越しに見える世界をよく見るんだ。光の当て方はいいか、正しい構図で撮れているか、とかな。ちゃんと見て考えたやつがいい写真を撮れるようになる。楽しんでたくさん撮ってみなさい」

「1枚を大切に」という言葉が私に重くのしかかりました。自分の悪い部分をズバッと指摘されたようだったからです。

祖父の言う通り、スマホや一眼レフはデータがある限り何枚でも撮ることができます。なので、1枚に写真に対する意識が希薄になってしまう。適当にカメラを構え、シャッターを切るだけで綺麗な写真が撮れてしまうのですから。

しかし、撮れる枚数に限りがあるフィルムカメラはそうはいきません。適当に撮るということは金を溝に捨てるようなものだと思います。

フィルムカメラは撮った写真は消せません。撮り直しも効きません。どのような写真が撮れているのかは、現像から返ってこなければわからないのです。

だから、その1枚が真剣勝負なのだと祖父は言ったのです。全身全霊をかけて目の前の風景をフィルムに残すのだと強く私に訴えかけたのです。

「それとな。現像した写真は必ず見返せ。上手く撮れたと思っても、現像してみると違和感を感じる写真がある。そう感じた写真はどこかに失敗が潜んでいる。光、構図、ピントなど、考えられる原因を考えてみろ。そうすることでもっと上手くなるぞ。あと、たまに自分の想像を遥かに超える写真が撮れているときもある。その写真を見たときの喜びは本当にいいぞ。やみつきになる」

そういう祖父の顔はとても楽しそうでした。まるで自分が写真を撮っているかのような無邪気な笑顔をしていました。

「1枚を真剣に撮れ」「現像して返ってきた写真を見返せ」という祖父からのアドバイスを胸に、私はNikonのフィルムカメラで写真を撮り始めることにしました。

 

写真は自分の内面を写す鏡

最初は上手く撮れませんでした。オートフォーカスではなく、マニュアルフォーカス(ピントを自分で合わせること)だったので、ピントが上手く合わず、どこかボケた写真ばかりでした。

「よし!」と思って撮れた写真でも、現像から戻ってきたものを見返してみると、パッとしないものばかり。むしろいいと思う写真が無いと言っていいほどでした。祖父の言う通り、どこか違和感のある写真ばかりだったのです。

「なぜ上手く撮れないんだ」と思いながら、祖父の言いつけ通り、戻ってきた写真を観察して、どこが悪いのかを考えることにしました。

光の当て方、構図、ピントなど、写真を見れば見るほど、違和感が浮かび上がってきました。どれも自分の甘い部分が違和感となっていたのです。

自分の内面を写す鏡のように、考えきれていなかった部分や、これでいいやと妥協した部分、そんな自分の甘さを写真ははっきりと映し出すのです。

「このままじゃ何回撮っても同じだ」と写真を見て痛感しました。

どれほど適当に写真を撮っていたのか、その歴然たる事実を突きつけられた私は、その失敗を次の撮影に活かすようにしました。

一眼レフを使っていたときからは考えられないことでした。

いつの間にか撮って終わりではなく、失敗を次にどう活かすか、までを考えるようになったのです。

そこには写真が上手くなりたいという純粋な気持ちと、祖父が言っていたあの瞬間を味わいたいという気持ちがありました。

 

フィルムカメラの虜になった瞬間

その思いを胸に、写真を撮り続けました。数をこなしていくうちに、自然と納得のいく写真が増えてきました。

「いい写真だね!」「アイコンにしてもいい?」と見せた友人たちに言われることが多くなり、自分の成長を実感しました。失敗を次にどう活かすかを考え続けたことが実を結んできたのです。

フィルムカメラを使い始めて2ヶ月間ほど経ったとき、久々に現像に出したフィルム写真を見返していると、祖父が言っていたあの瞬間がやってきたのです。

「嘘……。この写真ほんとに俺が撮影したの?!」

その写真を見てただただ驚きました。自分で撮った写真だとは思えませんでした。誰かのデータを間違えてもらってしまったのではと思ったほどでした。

「自分の想像を遥かに超える写真が撮れているときもある。その写真を見たときの喜びは本当にいい。やみつきになる」

祖父の言葉は間違っていませんでした。天にも昇る心地のような全てが報われた感覚。確かにこれはやみつきになってしまう。巻き戻して同じ瞬間を繰り返したいと願うほどでした。

その写真を撮影したとき、「あ、ミスったな」と思ったのですが、それはミスではなく、成功という大きなサプライズとなって返ってきたのです。

自分の想像を遥かに超える写真をついに撮ることができた。その喜びはどんなものも勝つことができないくらいでした。思わず、グッと拳を握ってしまうほどでした。

何度見返しても良い。画面に映っているどの部分を見ても、1つとして妥協した部分がないその写真は、日頃から考え続けた成果が花開いたと思いました。

 

フィルムカメラはサプライズを届けてくれるもの

この瞬間は今でも忘れられません。今までの失敗の上にこの写真は立っている。失敗があったからこの写真を撮ることができたのだと思いました。

スマホや一眼レフで撮っていただけでは、絶対にこの瞬間は訪れなかったと思います。

「撮って終わりではなく、失敗を次にどう活かすか」

このことを愚直に続けてきたからだと思っています。

これは今でも写真を撮る上で、大切にしていることです。

フィルムカメラは自分の想像を超えるものを提供してくれる、サプライズプレゼントのようなものだと思っています。

その瞬間はいつ訪れるかわからない。忘れた頃に、大きな驚きとなってやってくる。

その瞬間を味わってしまったら、あなたはもうフィルムカメラの虜です。

写真が撮りたくてたまらなくなります。早く写真が撮りに行きたくて仕方がないと思うはずです。

実際、これを書いている私も「写真を撮りに行きたい!」と思って書いているくらいですから!

今、スマホや一眼レフで撮っている人も、これからフィルムカメラを始めようと思っている人も、勇気を出して始めてみてください。

普段感じられない喜びと写真の面白さを味わうことができる、こんなにいいものはありません。写真と向き合える、写真がもっと好きになれるそんな素晴らしいものだと思っています。

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この"好き"を書いてる人

Halu Amatsuji

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