嫌味をかわすなら小式部内侍に学べ!

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はじめに

日本人であればほとんどの人が知っているであろう『百人一首』。

今や海外でもその人気は高まっており、英語版も販売されているそうです。

そんな百人一首、学生時代に全首覚えたという方も少なくないのではないでしょうか。

現在18歳の私の周りでも、百首すべてを記憶している友人は意外とたくさんいます。

ですが、ひとつひとつの歌に込められた歌人たちの心情、そして彼ら自身の身の上についてまで深く掘り下げて学んだ!という方はどれだけいるでしょうか。

百人一首はカルタ遊びとなっているため、百首全て覚えた方が『使える』かもしれませんが……歌の世界はとても奥深いものです。

文字の羅列を覚えるだけでは少々物足りません。

この記事では、百人一首の第六十首に選ばれた、とある女性歌人の歌を掘り下げて紹介します。

その女性歌人とは──

鋭い薔薇の棘のような女性・小式部内侍です。

 

小式部内侍ってどんな人?

そもそも、小式部内侍とは誰ぞというお話。

皆さん、紫式部はよくご存知のことかと思います。

平安の世をときめく美貌の貴公子、光源氏を生み出した女流作家ですよね。

そんな紫式部がお仕えした奥様が、時の天皇の后であった中宮・彰子。

彰子にはさまざまな文化人(女性ばかり)がお仕えしていて、その中に小式部内侍とその母親・和泉式部の姿もありました。

この和泉式部も有名で、彼女の歌も百人一首のひとつに数えられています。

小式部内侍は和泉式部の血を大いに継いだのか、幼少期から大人顔負けの歌を詠む女性でした。

彰子に文化人ばかりがお仕えしたのは、彰子の父である藤原道長が天皇の気を娘に向けさせるためにステキなサロンを作り上げようとしたから。

そのメンバーに選ばれたことを考えると、小式部内侍は非常に優秀な女性だったことが伺えます。

また、情熱的な恋を繰り返した母親に似て、彼女自身も宮中で何度も恋愛をしたそう。

しかもただ恋をするだけではなく、恋人の中の数人とは子どもまで生んでいます。

ですが、最後の恋人となる藤原公成の子の出産の際に亡くなってしまいます。

歳は20代。平安時代といえど、あまりに短すぎる人生でした。

 

百人一首に採られるほどの名歌

さて、本題である小式部内侍の歌について。

百人一首に採られているだけあって、とても趣向の凝らされた一首となっています。

大江山   いく野の道の   遠ければ
まだふみも見ず   天の橋立

訳:大江山へ行く道は遠いので、まだ母からの手紙も見ていませんし、天の橋立の地を踏んでみたこともありません。

歌に詠まれている『大江山』は現在の京都府にある山のこと。

『いく野』は、大江山を越えた先にある現在の大阪の辺りの地名で、天橋立に行くにはここを通る必要がありました。

つまり、「大江山に行くのだって遠いのに、その先にある生野や、まして天橋立など行けるものですか」という意味です。

また、『生野』と『行く』を掛けてあったり、『文(ふみ)』と『踏み』を掛けてあったりと、数カ所に渡って技巧が凝らされていることが分かります。

そして、気になるのは現代語訳の『母からの手紙』という一節。

元の歌には『母』を表す言葉はひとつも入っていませんが、どうして『母からの手紙』と訳されるのでしょうか。

 

母の代筆を疑われた小式部内侍

既述の通り、小式部内侍は幼い頃から非常に優秀で、歌の才能は母親である和泉式部に劣らなかったと言われています。

ですが小式部内侍の周囲は、彼女の歌を褒めると同時にある疑いを持っていました。

それは、「母である和泉式部が小式部内侍のために歌を代筆してやっているのではないか」というもの。

当時の貴族は歌のセンスで異性にモテていたと言っても過言ではないほどに歌を重要視していましたから、幼くして秀でた才能を持った小式部内侍を妬んでいたのかもしれません。

そんな小式部内侍に転機が訪れます。

ある日、小式部内侍は宮中の歌合(歌人を右方と左方に分け、双方が順に詠んだ歌の優劣によって勝敗を決める貴族の遊び)に誘われました。

歌合にはもちろん歌の名手しか呼ばれませんから、小式部内侍が若手ながらも相応の技量を持っていたことを意味するのですが、そこで彼女はとある男性に目をつけられます。

その男性とは藤原定頼といって、小式部内侍と同じように歌がお上手な方。

定頼は、小式部内侍が和泉式部に歌を代筆してもらっているという噂を耳にしていました。

加えてちょうどそのとき和泉式部は、夫の下向(現在でいう出張のようなもの。この時は現在の大阪の辺りに行っていた)に着いて行っていたので、和泉式部はひとりで宮中に残っていました。

いつもよりちょっとだけ頼りない女性に意地悪してやりたいという気持ちが湧いたのか、定頼は小式部内侍に接近。

失礼極まりない質問を投げかけます。

今はきみのお母さんが不在のようだけど、歌合は大丈夫?   代筆してもらわなくていいのかい?

普通なら怒っていいところだとは思いますが(というか小式部内侍ももちろんイラッと来たでしょうけど)、冷静に歌を詠んで彼の嫌味をかわします。

それが先ほどの大江山の歌。

ここから大江山だって遠いのに、その先にある天橋立なんて行けるわけがないじゃない。それに、母からの手紙が届くのにも時間がかかるんだから、歌の代筆なんて頼めないわ。そんなことも分からないだなんて、貴方も大したことないのね

という感じでしょうか(かなり小式部内侍贔屓の筆者の妄想が入りますが)。

自分よりも歳上の男のいやーなからかいに即興で歌を返し、しかもあちこちに高度な技を散りばめる。

親の力などに頼らない、本当に優秀な人間しかできないことを、小式部内侍はさらりとやってのけました。

ちなみに、予想もしていなかった切り返しをされた定頼でしたが、彼とて歌の名手。

歌人としてのプライドを賭けてどうにか返歌を詠んでやろうと考えましたが、ついには思いつかず、その場を退散したそうです。

歳上の男をも唸らせるほどの頭脳とセンスを持ち合わせた女性歌人・小式部内侍。

現代の私から見ても、素直にかっこいい!と思える鋭い女性です。

 

私の憧れ『強い女』

ここからはこのサイトの本懐、好き語りになるので、さらりと読んでくださったら嬉しいです。

昔から、とにかく『強い女』が大好きな私。

海外のアクション映画によく登場する男性顔負けの強さを誇る女性から始まり、よくパリコレのランウェイを歩いているキリッとしたモデルの方を憧れを持って眺めていたり、あとはプリキュアのアクションシーンなんかも何度も再生しました。

私自身は、いわゆる『強い女』らしい格好をすることはなくて、どちらかというとガーリー系のおしゃれをすることの方が多いのですが、だからこそクールでかっこいい女性が好きなのかもしれません。

そして、『強い女』って、歴史上にたくさんいるんですよね。

源頼朝の妻・北条政子なんていい例で、敵に寝返りそうな家臣たちを前に「この中に敵側につきたい者がいるのなら、先に私を殺してからお行きなさい」と言い放った姿は想像する度に感動してしまうほど。

今回紹介した小式部内侍も私の中ではとても『強い女』で、平安時代の人物の内ではトップクラスで大好きなんです。

何しろ、歳上の大人の嫌味にあそこまで上手く切り返すことができる子なんてそうそういないじゃないですか。

小式部内侍というのは「和泉式部の娘の小さい子」という意味で周囲から呼ばれていた名前ですが、その神経は図太く、小さいなんていうものではなかったことが想像できます。

そんな大好きな小式部内侍くらいの強さが、いつか自分にも備わればいいなあといつもぼんやり考えております。

 

おわりに

小式部内侍の歌の背景はいかがでしたか?

『強い女』っぷりを前面に押し出した彼女の歌は、今も多くの人の心に深く刻まれています。

また、歌の背景が奥深いのは小式部内侍だけではありません。

禁断の恋に身を焦がした挙句悪行に手を染めることになってしまった藤原道雅視力とともに権力も失っていった三条院など、三十一文字(みそひともじ)の世界に自分の思いの全てを託した歌人たちの物語は、知れば知るほど心を打たれます。

貴方も、学生時代に覚えた一首をもう一度見直して、歌の世界に足を踏み入れてみませんか?

いいね!!

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